











| ワルシャワにスターリンが建てた文化科学宮殿が60歳になった |
| 建設はポーランド共産党政権10周年の1955年のことだ |
| 党が結成されたと言われる7月22日にオープン 昔は建国記念日だった |
| 共産党時代はポーランド人から嫌われた建物 |
| 市中心にそびえるこの建物はソビエト支配の象徴に見えた・・・ |
| 共産党政権崩壊後 壊そうと言う意見もかなりあった |
| だが今では歴史の一こまを示す建物として容認する意見が多い |
| 周りに超高層ビルが立ち並び 目立たなくなった |
| それに現代的なビルよりは威厳がありそうに見えるww |
| 毎朝見るネットのニュースサイト やはりこの話題がトップだった |
| 「90年代はワルシャワへ来る度にこれを墓へ入れてと願ったものだ」 |
| 見出しは宮殿の本を書いたクラクフ在住女性作家のインタビュー |
| 「でも戦後ポーランドの歴史がここに見える」と彼女は語っていた |
| 私の家の近くに文化科学宮殿の方向を真っ直ぐに向く幹線道路がある |
| 東側の郊外に出て 帰って来る際に道路の彼方に宮殿が見え始める |
| すると「ワルシャワに帰って来た」との感慨が沸くようになったww |
| 間もなくの夜10時半 宮殿で市主催の祝賀パーティーがある |
| 市民は誰でも参加出来 深夜には光のショーも週末まで続けられる |
| 私には遅過ぎるので行かないが 何故そんなに遅いのかと言うと |
| 暗くなるのが遅いからww それにしても時代が変ったものだ・・・ |
| 先週金曜 ワルシャワのドイツ大使館で感動的な出来事があった |
| 第二次大戦末期 占領ドイツ軍に貧弱な武器で抵抗したワルシャワ蜂起 |
| ドイツ大使と握手をするのはその生き残りの元ポーランド兵士 |
| 胸には赤い十字のドイツ連邦共和国功労勲章が付けられている |
| ワルシャワ蜂起はわずか2ヶ月でドイツ軍によって鎮圧された |
| そしてその結果 2万人の兵士と20万人のワルシャワ市民が死亡した |
| 更にドイツ軍は報復として市の建物を組織的に爆破した |
| 蜂起70周年の去年はベルリンで写真展が初めて行われた |
| この老人の腕には蜂起軍が使用した腕章が付けられている |
| ナチス・ドイツのポーランド侵略から始まった先の大戦の戦後処理は |
| 決して平坦ではなかったが 今のこの両国関係には驚きを禁じ得ない |
| それは加害者の立場にあるドイツ人側だけの努力ではなく 被害者の |
| ポーランド人達の和解に向けた努力にも負うところが大きい |
| ドイツ大使と抱擁を交わすこのポーランド老人を見てそう感じる |
| 蜂起兵の服装をした若者も感動の面持ちで2人を見つめていた |
| 「ワルシャワ蜂起兵達は犯罪者の子孫に握手の手を差し出してくれた |
| だが過大評価は出来ないと思う」・・・ニケル大使の挨拶の言葉だ |
| 元兵士の心の葛藤に配慮した大使の言葉を国営TVは見出しに使っていた |
| 勲章を贈るのも また受け取るのも容易な決断ではなかったはず・・・ |
| 勲章を授与された20人近い御老人達 当時は殆どが10代後半だった |
| 肉親や数え切れない程の戦友をドイツ軍に殺されている |
| ドイツ軍の行為を忘れることは出来ない だが今は友人 |
| それに何せ隣人なのだから・・・ |
| ドイツの勲章を受けるかどうか迷ったと言う老女性の言葉だった |
| ポーランド国営通信社が撮った写真を集めた写真展 |
| 「ポーランド25年の変化」がワジェンキ公園の野外展示場で始まった |
| 5月に国営通信社印刷所跡で展示されたのをリメイクしたものだ |
| 先日御紹介のペンドリーノがワルシャワに到着した去年8月の写真もある |
| こんなに歓迎されたのかと少し驚いたが(笑) |
| だが興味を引いたのは25年の変化のその前 共産主義時代の写真だった |
| 主に白黒だが 数多く展示されていた 変化を分かり易くするためだろう |
| 1981年12月 戒厳令を敷いた直後の有名なヤルゼルスキ第一書記の写真 |
| そのヤルゼルスキ将軍も5月に亡くなった |
| 共産党によって完全に支配された国営通信社だったが よく撮っている |
| 商品が殆ど並んでいない肉屋 戒厳令直前の1981年4月の撮影だ |
| 大農業国のはずなのに国営店舗には商品が出回らなかった |
| 出回る時になると噂が流れ すぐに長い行列が出来た |
| 「1981年2月有効」と書かれた肉やソーセージ類の配給券 |
| 1級肉400g 2級肉950g ソーセージ類合計1250g 1人1ヶ月の量だ |
| 日本人から見ると多いが 言わば肉食の人達にとっては少ない |
| そしてこれがないと国営店舗に肉類が出回っても買えない |
| これは戒厳令が停止された翌年の1983年 とても暗い年だった記憶がある |
| 「配給券のみ」と書かれたクレヨン類 こんなものまで配給制だった |
| 公認の自由市場や闇商店では多くのもが買えたが 一般の人には高かった |
| 国民に必要なものを安く供給する計画経済は全く機能していなかった |
| 若い人達の多くはチラッと写真を見るだけで素通りしていた |
| 一方 あの時代を経験したであろう年配の人達がじっくり眺めている |
| ところで西側から来た特殊な立場の私は「肉クーポン」を与えられていた |
| そう言う人達専用の肉屋があり 全く制限なしに安く買えた |
| 後ろめたさを感じたこともあった・・・ |
| そして25年前の1989年9月 連帯政権が誕生して『あの時代』が終わった |
| 丁度ショパン像が見えた 本番の「25年の変化」の写真はこれからだ |
| だがそっちのほうはチラッと見るだけで分かる そんな感じがした |
| 『あの時代』は強烈に異質だったし 経験しなければ分かり難い・・・ |
| ポーランドがもう“普通の国”になった今 改めてそう思う |
| ポーランド東部に住む91歳のヤニーナ・コウキエヴィッチさん |
| いい笑顔で写真におさまっているが 実は10日前に“死亡した”人 |
| まさに「エー!」と叫びたくなる出来事だったとマスコミは伝えている |
| 一緒に暮らしている従妹夫婦が今月6日朝 ヤニーナさんが起きて来ないので |
| 部屋に入ると ベッドの中で目を閉じ 動かなくなっている彼女を見つけた |
| そこですぐにかかりつけの医者を呼んだそうだ |
| 医者は彼女の停止した心臓と脈拍 開いた瞳孔等を確認し 死亡診断書を書いた |
| 呼び寄せた葬儀屋がヤニーナさんを遺体安置所へ運んで行った |
| この作業が2時間程続いたが 彼女は全く動かず 体も冷たかったそうだ |
| 低温の安置所に11時間置かれたままだったが 葬儀の準備のために親族が |
| 中に入ったところヤニーナさんを入れた袋が動き 生存が判明したと言う |
| 家に戻ったヤニーナさんは元気で とてもお腹が空いていたことから |
| スープを飲みポーランドでナレシニキと呼ぶパンケーキを2つ食べたそうだ |
| ところでこの女性がヤニーナさんの“死亡診断書”を書いたお医者さん |
| 「心臓の鼓動も脈拍も また息もなかったのに信じられない・・・」 |
| 国営テレビにそう語っていたが この人は地元では信頼の厚い医者だそうだ |
| そして「奇跡だ」と驚く人が多く 非難の声は上がっていないと伝えていた |
| これは大衆紙の記事だが「遺体安置所で目が覚めたのよ」との彼女の言葉 |
| そして右下には「スーパー恐怖」と書いてある そりゃそうだろうと思う |
| 親族が気付かなければヤニーナさんは生きたまま埋葬されていた訳だ |
| そのため検察当局が捜査を始めたとも国営テレビは伝えていた |
| 一方で地元役場は死亡届を受理しており 取り消しの手続きに入ったと言う |

Author:ゴロー・O
ヨーロッパ6か国勤務後、ワルシャワ永住です。
ポーランドの自然や動物達を紹介しています。
写真は私のペットだった闘鶏のラルチャです。