| 春霞が棚引いた先日 文化科学宮殿の屋上から見渡して驚いた |
| ビスワ川にかかるワルシャワのすべての橋が見える! |
| これは一番北 ワルシャワでは一番下流にあるキュリー橋だ |
| 2年前に出来たばかりの橋 文化科学宮殿から9km余りある |
| その3km程上流にあるロヴェツキ将軍橋 「連帯時代」に出来た |
| この橋も 先程のキュリー橋もこの展望台から見えると思わなかった |
| ワルシャワでまだ一番高い建物と言っても展望台はたかが114mだ |
| ところで橋の後ろに見える巨大な建物は発電温湯供給施設 |
| 旧市街から新市街越しに見えるのがグダニスク橋 |
| この橋は下の部分に市電が走り 鉄道橋も併設されている |
| ところで全部の橋が見えるその意味合いはまず橋が少ないこと(笑) |
| 市中央を流れるビスワ川には鉄道橋を含めても市内に9つしか橋がない |
| その理由は東から そして西から何度も敵軍が進入したポーランド |
| 川が首都防衛最後の砦であり 橋の建設が自由に出来なかったからだ |
| これは旧市街と王宮のすぐ下にかかるシロンスク・ドンブロヴァ橋 |
| 聖十字架橋 体制変換後の15年前に出来た新しい橋 |
| 川越しに旧市街が見渡せ 5月と8月には旧市街に夕日が沈む |
| 全部の橋が見える更なる理由は平坦で 単純な地形であることだ |
| そしてもう一つ 高い建物が一部の場所に限られていること |
| 実は年甲斐もなく興奮して この2つの橋を狙って撮るのを忘れていた |
| 一番近く ホントに目の前にあるのに(笑) |
| でも何とか写っていた 左側が鉄道橋 そして右がポニアトフスキ橋 |
| 最後の写真にはワジェンキ橋と一番上流で南のシェケルキ橋が見える |
| シャケルキ橋は昨日 夕日を撮った場所だが ここから12km余りある |
| そして全部の橋が見える一番大きな理由は森の如き遊水地の川原が |
| どちら側かに必ず広く残してあり それが見通しを良くしていることだ |
| 市内全部の橋が100m程の展望台から見える首都が他にあるだろうか? |
| この事実にはワルシャワのすべてが込められているように思えた |
| もっともそんな首都が他にあるかも知れないが(笑) |
| ワルシャワの橋シリーズで御紹介したキュリー橋が今日開通した |
| それに先立って昨日の土曜日は歩行者に開放された |
| こう言う機会は珍しいので私も自転車を車に積んで出かけた |
| 午前10時に開放された直後だったのにもう大勢の人達が来ていた |
| これで8つ目になるワルシャワの橋の中では一番長い795m |
| 両側のインターチェンジを含めると2キロ程の長さになる |
| これが丁度橋の真ん中 地元のテレビ局が中継をしていた |
| 対岸の東側を見ると人々がどんどん渡って来ていた |
| 川沿いには社会主義時代に出来た団地が見える |
| 市の中心に行くために使って来た上流の橋は朝夕の混雑が激しい |
| だからこの人達にとっては待ちに待った橋だ |
| この橋が一番北の橋 私の家の近くにあるのは一番南の橋 |
| 市の中心からいずれも数キロ程だが 川が蛇行していることもあって |
| ここからはワルシャワ中心街のミニ摩天楼群がほとんど見えない |
| この橋は「北橋」とこれまで呼ばれていたが ほぼ完成した去年が |
| キュリー夫人の二度目のノーベル賞受賞100年記念の年だったので |
| 「マリア・スクウォドスフカ・キュリー橋」と名付けられた |
| 最初はサイクリングを楽しんでいたが 人がどんどん増えて来た |
| そして昼過ぎにはもう走れないほどの混みようになった |
| 他国に度々侵略された経験から極端に橋が少なかったワルシャワに |
| 体制変換後に出来た橋は3つ目 平和の到来を象徴するように思えた |
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| ワルシャワの橋シリーズの最終回は今建設中の橋 |
| 前回御紹介した「ロヴェツキー将軍橋」の北約3キロにある |
| 架橋や川沿いの道路との立体交差の工事はほぼ終わっている |
| 車の進入禁止の表示があったが 自転車で立体交差を上った |
| 車線の部分は工事がほぼ完了し 柵の取り付けや |
| 橋の周りの整備工事がまだ残っている |
| 積み上げられているのはガードレール用の資材だと思う |
| ちょっと緊張しながら自転車を走らせたが |
| 開通する前の道路を走るのは気持ちがいいものだ |
| 300メートル程走ったところでブロックされていた |
| 左の隅にあるボックスから警備員が顔を出したが |
| 何も言わずに中へ姿を消した |
| ポーランドのここら辺りが鷹揚なお国柄だといつも思う |
| 管理責任を厳しく追及する日本だとこうは行かないだろう |
| ところでこの橋は795mで一番長い橋になる |
| そしてこれまでは「北橋」と仮称で呼ばれていたが |
| キュリー夫人が二度目のノーベル賞を受賞してから今年で |
| 100年になることから「キュリー橋」の名前になることが決まった | 写真を撮ったのは先週末だが 実際に工事が行われていた |
| 雪がなく暖冬のこの冬は建設業界にとっては特需のようなものだ |
| 「キュリー橋」の開通は来年前半になるそうだが8つ目の橋 |
| 今後数年以内にロヴェツキ将軍橋の南に「クラシンスキ橋」 |
| そして私の家よりもう少し南に「南橋」が建設される予定だ |
| 外国軍隊の進入を阻止する最後の防波堤にする意味合いから |
| ワルシャワの川に自由に橋を建設出来なかったポーランド |
| そんな馬鹿げたことが少しずつなくなりつつあるように見える |
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| ワルシャワの橋シリーズ 9回目は今のところ一番北にある橋 |
| 交通量が一番多く 645mと一番長いが 半分は川原の上だ |
| 「トルニ橋」と呼ばれていたし 私もそれが名前だと思っていた |
| トルニはここから200キロ下流のコペルニクスの生まれた町 |
| 実際 この橋の続きは「トルニ通り」だ |
| 片側4車線ずつと広いが ともかく交通量が多く |
| ラッシュアワーには橋を渡るのに1時間かかることもあるそうだ |
| この橋はポーランドが共産主義時代の1981年11月28日に開通した |
| その時に付けられた正式名は「一番槍のロヴェツキ将軍橋」 |
| 一番槍はロヴェツキ将軍のあだ名だが 第二次大戦中に地下に潜り |
| ドイツ軍に抵抗した「ポーランド国内軍」の指導者であり英雄だ |
| この橋は2つの橋から出来ている だから4車線もとれる訳だ |
| ともかく落書きが多い 上の側面にはどうやって登ったのだろう? |
| ところでロヴェツキ将軍はドイツ軍に捕えられ殺害された |
| 一方ポーランド共産党は戦後「ポーランド国内軍」を無視し続けた |
| 何故なら英雄は自分達でなくてはならなかったから |
| 橋の下には車やオートバイを乗り回した跡があちこちにあった |
| さて共産主義時代に無視すべき将軍の名前が何故ついたのだろう? |
| それは自由の花が咲いた「連帯」時代にたまたま開通したからだ |
| 30年前の今日は共産党政権が戒厳令を敷き「連帯」を封じ込めた日 |
| 橋の開通はその半月前だ 当時殆どの国民は「連帯」を支持したが |
| 名前を付けた地元の議員か役人も「連帯」支持者だったに違いない |
| 私は戒厳令の直後にポーランドに赴任した 暗い時代だった |
| 手元にある1981年の地図にはやはり「トルニ橋」と書いてある |
| 共産党政権はうやむやの内にそう呼ばせることにしたのだろう |
| 今では正しい名前で呼ばれており 私が知らなかっただけだ・・・ |
| 荒涼とした下流の景色を眺めながら30年の歴史に想いを馳せた |
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Author:ゴロー・O
ヨーロッパ6か国勤務後、ワルシャワ永住です。
ポーランドの自然や動物達を紹介しています。
写真は私のペットだった闘鶏のラルチャです。